学問・資格

2014.02.28

葬儀に参列する

あまりにも一般常識と教養のないわたしである。

 

葬儀に参列したとき、お坊さんと一緒に阿弥陀経を唱えるのは、この地方だけ?母は、そんなことないでしょうと言う。

だが、オットの親戚の葬儀では、そんなことしなかったような気がするのだ。

しかし、この地方では皆が声をそろえてお経を読む。通夜や葬儀に参列するとき、赤い本を渡される。しかし、その本を受け取るのは、いわば素人だ。

通は、自分の本を持参している。

そして、はっきりと大きな声でお経を唱えるのだ。あの独特の節で。

先日も叔父の葬儀に参列した際、隣に座ったおばさん(おばあさん?)が自分の本を取り出し、ハッキリと大きな声で、とても上手にお経を唱えていた。その女性は、そういうことに詳しそうな雰囲気ではなく、髪の色もヘアスタイルも服装も、どちらかと言うと昔は相当遊んでたでしょ・・・って感じの人。

それが、ごく当たり前のようにお経を読む。

そしてそれが、すごくかっこよかった。

わたしもお経を唱えたい・・・と、突然思った。

母も最近、お坊さんに「上手くなりましたね」と褒められたそうだ。

来月の中旬、実家が檀家となっているお寺で集まりがあるらしい。わたしも行ってみようかな。

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2013.05.26

将来の進路は、やむを得ず決まる

ずっと書けなかったことがある。

それは、akkoの受験の顛末。

残念なことに、前期で受けた第一希望校に落ち、後期で受けた第二希望校にも落ちた。結局、滑り止めで受けていた地元の女子大に進学することとなった。

どの学校を受験するか運命の選択だった。確実な線でいけば、地元の国立大。しかし、センター試験の結果が想定していた以上に好結果で、第一希望校のセンター試験の判定がA判定だったため、akkoの力を過信してしまった。

選択は、もちろんわたしの意見だけでなく、学校の先生もakko本人もその第一希望校で一致していたのだが、不合格がわかってから当分の間、わたしはずっと後悔していた。

もしかしたら、わたしが彼女の人生を狂わせてしまったんじゃないか、と。

あのときわたしが、確実な線である地元の国立大学を強く押すべきじゃなかったのか、と。

センターの結果に浮かれていたんじゃないだろうか、と。

後期試験が終わって帰り道の新幹線の中で、akkoは泣いていた。出来た!という手応えが全くなかったらしい。

それを見て、わたしも泣けた。

akkoの頭をなでながら「ありがとう」と言った。「akkoのお母さんで、ほんとによかったよ」と言った。

彼女は、高校の3年間、ほんとに一生懸命にやったと思う。わたしも毎晩駅まで迎えに行き、一緒に頑張ってきた3年間だった。結果は出なかったけど、やってきたことは無駄じゃないと思う。

すべての結果が出たあとakkoに、浪人の選択肢も示したが、本人にはその気力は残っておらず、滑り止めに受けていた地元の女子大に行くことになった。そこがなんと、薬学部。

実は彼女、薬剤師という仕事に全く興味がなく、周囲に勧められても「全然興味ない」と即答だった。

その彼女が、やむを得ず薬学部に進学することとなったのだ。本人は、急遽、薬剤師とはどんな仕事なのか調べるため図書館で本を借りてきて読んだらしい。入学式までの間、そうやって徐々に薬剤師への興味や関心を形成し、気持ちを切り替え、新しい目標を定めたようだ。

その間、ずっとうじうじしていたわたしが、ときどき過去の選択を振り返って「あのとき先生が・・・・」などと言おうものなら、「もうそういうこと言うの、やめようや」とakkoに一蹴され、子供の強さに感服である。

考えてみれば、わたしの進路だって偶然や成り行きで決まることのほうが圧倒的に多かったわけで、今回の結果もそのひとつと思えば、akkoだけが可哀想なわけじゃない。

この進路を活かせるかどうかは、今後の本人の努力次第である。

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2006.03.18

よりによって(-_-;)

明日は,年に一度の当社主催のでかい環境保護イベントがある.

実際には,うちの会社では私だけが取り仕切っていて,昨年夏くらいから準備をしてきた.非常に,しんどかった・・・・(-_-;)

そしていよいよ明日だ.ここ数ヶ月の苦労が,形になる日だ.だから明日は早起きしなくてはいけない.

なのにっ!久しぶりに蕁麻疹が・・・.

痒い~~~!!!(←この漢字,いかにもカユイって雰囲気あるね.(^^)

「誰かぁ~,何とかしてぇ~~~.」

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2005.11.04

後悔するということ

私が今の職場に勤め始めたのは,昨年7月の末でした.

そのとき暖かく迎えてくれたのが,上司である次長でした.

いつも私をかばってくれ,意見を尊重してくれた次長.すごく短い間に,いろんなことを教えてくれたおかげで,今の私があります.

その次長が,今日亡くなりました.

悲しくてたまらない.悲しくて悲しくてたまらない.

私が入社してから,約3週間で1回目の手術・入院.一旦復帰したものの,今年の夏,再び手術・入院.だから,一緒に仕事した期間はとても短い.

でも,誰も頼る人がいなくて心細かった私には,唯一の支えだった人です.

次長が戻ってくると思っていたから,私ひとりでも(正確にはM子もいるけど)頑張ろうと思えたし,もし私がここで根を上げたら,他の上司をどこかから引っ張ってきて,次長の戻るところがなくなってしまうのじゃないかと思う気持ちもありました.

10日ほど前,次長から電話がありました.

「ととさん.自分はもう復職できないと思う.」

「次長,私,頑張るから.頑張って次長が戻れるまで,カバーしますから,そんなこと言わないで下さい」

「うん,そうだね.頑張るよ.・・・・でもね,もし復職できなかったら自分のデスクにあるものは,ととさんの判断で処分していいから.全部捨てても構わないから.・・・・もし,自分に万一のことがあっても,同じだよ」

「そんなこと言わないで下さい・・・・・」

私はこのとき,次長は退職するんだと思ってた.病気療養が長引くことで,会社に迷惑をかけるから(私に負担がかかるということを含め),退職するんだと思いました.

でも違ってたんだ.次長は,わかってたんだ.

あのとき一言,お礼を言っておけばよかった.

悲しくて悲しくてたまりません.

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2005.01.10

40ですが,それが何か?

もう,今年で40歳になります.ほんとは,いやでいやでたまらない.人に年齢を聞かれるのもイヤ.答えるのも激しくイヤ.でも,確実に年をとります.

2005.1.8 0102005.1.10-2 002
そんなとき,義母を見ていると勇気が湧いてくる.
写真は義母の作品のほんの一部です.(写真をクリックしてみて下さい.もうちょっと大きくなるから)
義母は現在77歳ですが,『比呂・七宝の会』を主催し,たくさんの生徒さんたちに七宝焼きを教えている.「私が死んだら個展を開いて,持っておけないものは売ってね」って言われているが,まだまだお元気なのでその心配はない.

もともと義母はお料理を教えており,また池坊華道の教授でもあるが,41歳のとき地域の公民館で行われた七宝焼きの講座に参加したところ,その魅力に取り付かれてしまった.それから熱心に勉強を重ね,あるレベルまで到達すると,今度はもっと高度な技術を求めて,わざわざ福岡の田舎から京都まで高名な先生の指導を仰ぎに行き,今の腕と技を得たのである.もちろん,京都での指導は数日に及び,また新しい技術が出る度に京都に通っていたことは,言うまでもない.

ちなみにこうして義母が家を空けている間,息子であるうちのオットは,父親と二人でトマトの味噌汁(食べたことないけど・・・・・どんな味だろう?)などを作って何とか過ごしていたらしい.

もしかして自分は・・・・
なにか始めるとき,『もう,この年だから』と,つい自分の年齢を言い訳にしてしまったりしてないかな?もう40歳だからできないなんて思ってたりしないかな?

「40ですが,それが何か?」
この言葉,自分に向けて言ってやるのじゃ!

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