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2010.08.18

自分さえよければいい

なんだか最近、自分の周りでそういう人をよく見かける。クレーマーと呼ばれる人たちなんて、その代表だ。

今日も、「パートの採用面接で落ちたのが納得いかない、面接の内容に不満だ」と言う苦情があった。

よく考えてくれ。採用枠4人のところに10名も20名も来たら、誰か落ちるのは当たり前でしょう?

いや。もし4人募集で3人しか来なかったとしても、こちらが望む人材でなければ採用できないのは当然ではないか。

これだけじゃない。どう考えても言いがかりのようなクレームで、金品を得ようとする人もいるし、とにかく相手の落ち度を見つけてやいのやいの言う人がほんとに多い。

同じ部署の女性も、わたしに言わせればクレーマーだ。

4か月前に巻き込まれた交通事故で、追突した加害者へ慰謝料を要求すると意気込んでいる。

「それって、いわゆるクレーマーだよね」

そう言うと彼女は、ちょっと顔をしかめたが。

     

誰かの幸せは、誰かの犠牲の上に成り立っている。今、自分がこうして仕事ができるのは、仕事にありつけない誰かを犠牲にしているのかもしれないし、美味しい夕飯をあきらめてくれている家族の犠牲のおかげかもしれない。

異論反論は承知の上だが、女が『働きたい、社会的に認められたい』と望む幸せは、少子高齢化という犠牲の上に成り立っているといえるんじゃないか。

逆にいえば、古き良き時代と思われているあの頃の幸せは、女の犠牲の上に成り立っていた幸せなんじゃなかと思うのだ。

「三方一両損」と言ったのは、小泉元首相だったっけ?「最少不幸」と言ったのは、菅首相だったっけ?

どちらも同じ意味だよね。みんながちょっとずつ我慢して、幸せがどこかに偏らないようにしようということでしょう?いいと思うな~そういう考え。

でも実際は、そうなっていないよな。いくら法律や規制で縛ったところで、それを運用するのはひとりひとりの人間で、その人間の心根が、「自分さえよければいい」というところに立っていれば、わずかな幸せを引っ張りあいこだ。

そういうわたしは、誰かの幸せのために犠牲になれているかと自問すると、「それはどうかな?」と思うのであるが。せめて、家族の幸せのために犠牲になれる人でいたいと思う。

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