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2008.04.29

死んでも構わない

robitaさんのブログで<日本人の死に時>というエントリーを読んだ。そしたらつい考えてしまう、死ぬということ。

わたしは、死にたいとは思わないけど死んでも構わないとは思ってる

子どもたちのために生きていなければ・・・とも、この頃は思わない。かえって、いなくなった方がいいのかも・・・と思うくらいなもので。

世の中には、いい母親しかいないらしい。
いたほうがいい母親と、いてもいなくてもいい母親と、いない方がいい母親と。ひょっとしてわたしは、3番目かな?と思ったりもしてね。

2006年の初秋に入院したとき(参照エントリー:『病気のことを話しましょう』『病気のことを話しましょう、もっと』)、目があまり見えなくなっており、もしこのまま見えなくなってしまったらどうなるんだろう?という言いようのない不安に取り付かれたことがある。

そのときわたしは、そうなったら死んじゃおう、死ぬなんて怖くないなどと思い、具体的にその方法について頭に思い浮かべてみた。

そして、具体的に考えれば考えるほど、そんなこと怖くてできっこないということが、はっきりとわかったのである。

だから、死にたいと思っても死ぬことはできないだろう。でも、案外あっさりと死を受け入れてもいいんじゃないかと、未だに思っている。

だから毎日、一生懸命に生きたいね。いつ死んでもOKって言えるように。

   

補足
父方の親戚は皆、長寿です。そしてわたしは、父方の親戚の遺伝子をより多く受け継いでいるとのもっぱらの評判であります。

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コメント

こんにちは。
そう。いつ死んでも構わないように生きるって、私の現在の境地です。
それは、「どのようにでもなれ」ではなく、精一杯生きる、という思いにつながるのです。

「ああ、生きるってこんなことだったのね」とか「人生って、こんなものか」なんて、ボヤキ台詞が、口を衝いて出た時、傍らの夫が、何度かいうのです。
「それって、モーパッサンの『女の一生』の最後の台詞だね」と。
その本は、高校時代に読みました。産まれてくる赤子の泣き声を、どこかで猫の泣き声が・・・、という表現が、性のことに無知な私には、ショックというか、印象に残っていのす。
時代も洋の東西も違うのに、口をついて出る言葉に、共通のものがあるのでしょうか。読み返してはいませんが、そうヒトって変化もしていないのかも知れません。


投稿: 街中の案山子 | 2008.04.30 10:12

記事を取り上げていただきありがとうございます。
「具体的にその方法について頭に思い浮かべてみた」←これにはびっくりですが、
「だから毎日、一生懸命に生きたいね。いつ死んでもOKって言えるように」←結局これが一番正しい。
私が記事の中で取り上げた本も結論はそれなのです。
私自身は若い時から独自の死生観を持っており、「これで死ぬのだなあ」と思う経験をしたこともあるので、たぶん、もっと年を取っても死に対する考え方は変わらないんじゃないかと思っています。
厭世的に「死」を身近に考えるようになるブームというのは歴史上たびたび起こったでしょうし、今の時代もそのブームなのかなあ、と思います。こういうブームには乗らないようにしないとね。
次の世代に希望をのこす生き方をする、たぶんそれが最善の方法だろうと思います。若死にしなければみーんな等しく老人になるわけですから。

投稿: robita | 2008.04.30 10:14

おひさしぶりです。バリウムで引っかかってビクビクしていた私みたいな人間に、語る余地などないのですが。。。夫も言ってました。「死ぬのが怖いから生きているだけ」だって。でも、人間、そういうものなのかもしれませんね。ととさん、お互い、一生懸命生きましょうよ。いや、多分一生懸命なのでしょうけれど、まだまだ先は長いですよ。
そうそう、おねえさま、進級おめでとうございます。無事にご卒業なさられるよう、あと1年がんばってくださいませ。いや、確かに毎日送迎は大変だと思いますよ。でも「一生のうちに手のかからない子はいない」そうなので、今、手がかかったと言うことは、将来的に自立して、左うちわで暮らせるのでは?うちの2人娘、保育園でも幼稚園でも泣かないので、しかも、転園で心労もあるはずなのに、私に気を遣ってあまり苦労を言わないし。もしかしたら、妙齢になっても家にいついて、「私の白馬に乗った王子はどこかしら?いないからすねかじっちゃおうかしら?」と、料理も掃除もせず、ぐーたらぐーたらしていたりして。。(そんなことは、私の性格からいっても、絶対させませんけれども)。

投稿: ちゃい | 2008.04.30 16:29

なんとなく、
「がんばろsign03
と思ってしまいました。
結果は最後にしか判断できませんが。。。

おねえさまの進級おめでとさんですhappy01
あわせて、送迎ご苦労様ですcoldsweats01
先日、上の子が「学校行かない!」と一日さぼっておりました。
徐々に大変になりつつあるようですsad
子育てのほうも、「がんばろsign03

ちゃいさま。
きっと、ご自身の想像通りにはならないと思いますが、
ととさん含め、予想外を楽しんでいきたいですねnotes

投稿: さじった | 2008.05.01 22:53

人生とは、まさに喜怒哀楽、浮き沈みの連続。
でもそれがなきゃ、面白くもないし。

『死んでも構わない』なんて、ちょと受け入れ難いと思われるのかと思ったら、意外に共感を得られて嬉しく思います。

いつ死んでも構わないと思うと同時に、いつ死ぬかもわからない世の中でもあると感じているので、今日ケンカしたら、今日のうちに謝って仲直りするように心がけています。

投稿: とと(>街中の案山子さん) | 2008.05.02 22:55

お越しいただき、ありがとうございます。

具体的に考えましたよ~
でも、考えれば考えるほど恐ろしくてダメ。このところ毎日のように自死のニュースを聞きますが、その怖さを乗り越える瞬間ってどんなものなのだろうと思ってしまいます。

>次の世代に希望をのこす生き方をする

これが、いつ死んでもいいように生きるということかなぁ。
具体的に思い浮かばないのだけど。

robitaさんの死生観、伺ってみたいです。

投稿: とと(>robitaさん) | 2008.05.02 23:00

お久しぶりです。

おねえは今のところ、自力で学校に行っております。クラスにおねえと同等のおばかさんがいるらしく、居心地がいいらしいです。

まだまだ先は長いですね。
早く、子育て終了したい・・・・(切実)

それでもわたしには、子育て以外の場所に自分を表現できる場所を持っているけど、万一、仕事をしていなかったら、『子ども=子育て=自分自身の価値』となり、おねえのありのままがますまま受け入れられなかったかも?とか、考えます。

おそらくわたしは、子育てに向いてないのです。
(あ~、なんてネガティブ)

投稿: とと(>ちゃいさん) | 2008.05.02 23:07

お久しぶりです。

おねえにこと、ありがとうございます。
今のところ学校には自力で通っていますので、わたしも気分が楽です。学校の呼び出しも、先生からの電話も、今のところありませんし。

さじったさんこそ、お元気でした?
ブログ、閉鎖されてましたね。

わたしも閉鎖寸前にはなるのですが、絶妙のタイミングで救いの手を差し伸べてくださる方がいて、ここまで来ています。

ありがたやありがたや。

投稿: とと(>さじったさん) | 2008.05.02 23:10

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