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2006.10.30

自殺のニュースが続きすぎ

いじめがあったかなかったかに話が集中してるけど,続きすぎだよ,自殺.

死に吸い寄せられる瞬間や,死に助けられる瞬間は確かにあって,私は将来に対する漠然とした不安が頭をもたげるとき,『死んだら全て終了なんだから』と不安を死でやっつけてるような気がする

しかし,先日の入院と目の異常で非常に具体的に『もしかして目が見えなくなったらどうしよう』という不安を抱えたとき,死は助けてくれなかった.

『目が見えなくなったら死んじゃえばいい』と思おうとしたけれど,その不安があまりにも具体的で現実味があったため,死の方法まで考えなくちゃその不安をやっつけることができなくて,そうすると具体的に死の方法なんて思いつかないわけ.

だから私には,自死はできないと思ったな.だって怖いもん.具体的に死の方法を考えれば考えるほど,怖い.

わずか十年と少ししか生きていない子達が,いとも簡単に死んでいくのを知ると彼らはそれが怖くなかったんだろうかと思う.

教室で一人になることより,親や先生に学校行かない宣言するより,死ぬことの方が怖くないということなんだろうか?

死は,最強の軍事力のようなもので,使わないことでこそ自分を守ることができる.

いつかは現世のこの苦しみから死が救ってくれると思えばこそ,その苦しみが耐えられる.

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コメント

私もそう思います。死が簡単なものになっている感じがする。『死』に現実感がないというか・・・。
小学生の半数ぐらいは、死んでも生き返ると思っているとのこと。リセット感なんでしょうか。
ただ、子どもの自殺は昔からあって、数値ではそんなに増えてないのかもしれないです。
死ぬ事より怖い事なんてない・・。はずなのに。
死でしか、いじめを知らせることができないのでしょうね。教師も見て見ぬ振り・・・・。怖いです。

投稿: ぐーたん | 2006.10.31 08:59

>ぐーたんさん

自殺って冷静な心理状態ではできないんじゃないかと思います.
大人の自殺の場合,鬱になっている場合が多いと思うのだけれど,実はいじめを受けた子どもも鬱的な状態になっていたんじゃないかとも思うんです.子どもの場合,その鬱状態を自分で理解もできないし,急激に死へ気持ちが傾いてしまうのかもしれないですね.

それにしても,子ども達の一線を越えるそのたやすさに驚いてしまいます.自死の場合も加害の場合も.

投稿: とと | 2006.11.01 21:49

私も考えたのですよ。「鬱」的状況。
もし子どもが「鬱」的状況になれば、いじめかどうかはわからなくても、親はわかるんじゃないかなと思うのですが、これはどうでしょうか?
家では「鬱」にならないのかなあ。
中二の子は、爪を削ると言うストレス状況があったみたいですね。親が話していました。
が、そこで、「死」という流れを親は見れなかったのでしょうね。まさかそんなことになるとは・・・と言うことなのかな・・・。
「死」を選ぶ状況が、それこそ、決死の覚悟の時もあれば、「鬱」状況で自分でコントロールできないこともあるのでしょうが、子ども達がどちらの状況であったのかはわかりずらいですね。

投稿: ぐーたん | 2006.11.02 13:05

>ぐーたんさん

中学生くらいの子どもは,家の中でも激変しているので少しくらい話さなくなってもそれが鬱なのか,思春期のせいなのかはよくわからないと思います.
加えて,もし本当に鬱的状態だったとしたとき,若い子って深刻さを増すスピードが速いのかもしれないですね.ほら,癌だって若いと進行が速いそうだし.(違うか・・・)

うちはおねえが高校受験のときものすごいことになったので,どうしても親に「気が付かなかったのか?」と責める気にはなれないです.
以前,親はどこまで妥協できるかというエントリーを書いたことがありますが,子どもの荒れにしろ,いじめによる自殺にしろ,振り返って『あのとき』ということは言えても,今がそのときがどうか判断するのは,ほんとに難しい.この年齢になるまで育ててきた自分と,ここまで育ってくれた子どもを信じるしかないのだろうと思っています.

投稿: とと | 2006.11.02 22:17

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