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2005.06.25

連帯責任と自己責任

この前書いた『連帯責任を考えた』にコメントいただき,ありがとうございます.

    

私は,世の中,連帯責任だらけなんじゃないかと思ってます.

例えば,談合やら無駄な公共工事やら裏金のプールやらで国費が無駄に使われたとき,使った本人たちが全てを弁済したなんて,あまり聞きません.その結果,国費が足りなくなったらあたしたちから税金という形で,徴収します.そうしないと,あたしたちの住んでいるこの国が立ち行かなくなるからと.

これって,あたしは国民全体で連帯責任を取らされているような気がするんです.

年金もそうです.テニスコートを作ったり儲からない宿泊施設を作ったりして,年金の財源が足りなくなるからということで,昨年からは年収に対して○%という計算で社会保障費を払うことになりましたよね.ボーナスのとき,あまりにも引かれている額が多くて愕然としました.(←シャレてる場合じゃないですけど(-_-;))

これだって,連帯責任みたいなものじゃないかと思うんです.

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人は,社会の中で他人と関わりながら生きている限り,自分の中だけで完結する責任ってないと思います

あたしが仕事に遅刻して,上司に叱られて給料が下がったとして,これで自分で責任が取れたとは思えない.あたしが遅刻した分の仕事は,仲間がカバーしてくれているんだから,仲間に対しての責任・・・というか,仲間に対しての波及があるわけです.こんなときは,あたしは仲間に連帯責任(=迷惑)をかけていると思う.

また,社会に対しても連帯責任があると思う.連帯責任というより,社会と協調する必要があると思うんです.あたしがイメージする社会との協調とは,社会のルールを守るという意味なんですけど.

例えば,交差点で赤信号のとき,急いでいるから信号無視をしてもよいかといえば,そうじゃないと思うんです.また,友達が自分の欲しかったゲームを持っていたからといって,勝手にとっちゃいけないですよね.『赤は止まる』というルール,『人のものを盗らない』というルールに多くの人が協調しているからこそ,みんなで生きていけると思う.

小学生のベル着についての思い出話をこの前書いたけど,ベル着は授業を時間通りに始めるためにやはり必要なんだろうと思います.小学生には,時間通りに授業がスタートしないということが,同じクラスの子達に対して迷惑をかけているという実感はないと思うので,班毎の得点制にして,自分が他人にかけた迷惑を目に見える形にしていたんだと思います.

似たようなことは地域活動なんかやっているとよくあることで,全員参加を呼びかけても出てくる人は出てくるけど,その気のない人は出てこないです.うちの前の土手は,夏になると草がうっそうと茂って歩きにくいし危険なので,ひと夏につき2回,草刈と清掃があります.そんなとき,出てこない人の分まで出てきた人が頑張ってやるしかありません.たまたまうちのマンションは,出てくる人が多いので助かりますが,向かいのマンションは世帯数が3倍で分担範囲もかなり広いのに,出てくる人はうちと同じくらいです.出てこない人は,出てきた人に対して,目に見えない迷惑をかけているといえるんじゃないかなぁ?小学生のときのような罰則(←漢字の書き取り練習とかが,当時のポピュラーなペナルティでした(^-^;)はないので,出てこない人には実感がないと思うけど

まぁ,いいんですけどね.やれる人がやればいいのでしょう,きっと.次回は,自分が出られないかもしれないのですから.お互い様ということですね.

あたしが感じている連帯責任という言葉の意味は,だいたいこんなところなんですが,それで納得しなきゃいけないというのは,確かに違います.

税金の無駄使いがなくなるようにしっかり監視しなきゃいけないし,国や自治体のリーダーとして相応しい人を,ちゃんと選ばなきゃいけない.それを怠ることで,自分達に影響が出てきたとき,自己責任という言葉が使われるのでしょう.

自己責任を果たせなかったとき,それがまわりまわって連帯責任という形で自分に降りかかってくるというサイクルなんだと思います.

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コメント

ととさん。
いろいろ気を使っていただいてありがとうございます。
ぼくも基本的にととさんと同じようなことを考えています。仙台であった、飲酒運転者が高校生を轢いてしまった事件やJR福知山線の事故のときに自分のブログで「自分の行動は自分以外の人に何らかの影響を与えている」というようなことを書きました。
でも、それを連帯責任という言葉を使うのはどうもぼくには抵抗があります。たしかに連帯責任と言えるような気もしますが、連帯責任という言葉がぼくは好きではないのです。
ととさんとは世代も違うだろうし(ぼくは1959年生まれ)育った環境も違うのでなんとも言えないのですが、学校の話なんですが、時間を守るとかは当然のことと思います。いや、思うではなくて当然です。しかし、それを班単位で行動して監視して全く一人ではなにもできないような環境にぼくはどうしてもなじめなかったのです。これも、ぼくが行っていた学校のぼくのクラスだけだったかもしれません。そんなことを考えていたのも僕だけだったかもしれません。
どうもうまく表現できないのですが、そんな環境がぼくが学校を嫌いになった原因かもしれません。あくまで個人的なことですけど。
ととさんのお考えになっている連帯責任は、反対に考えれば、全員に責任があるのだから、別に個人が責任を取らなくてもいいという今の政府や官僚の考え方になってしまうのではないでしょうか。それは絶対に問題があると思います。
長く書いてしまいましたが、やっぱりぼくの頭では何もまとまりません。すみません。

投稿: covaemon | 2005.06.28 01:10

>covaemonさん

コメントありがとうございます!

>何もまとまりません
↑い~え!あたし的には,すっきりです.

今回のコメントのポイントは以下の部分じゃないかと勝手に思っています.

>ととさんのお考えになっている連帯責任は、反対に考えれば、全員に責任があるのだから、別に個人が責任を取らなくてもいいという今の政府や官僚の考え方になってしまうのではないでしょうか。それは絶対に問題があると思います<

同感です!
個別に責任を取らなくても良いというより,「君らにも責任があるでしょう?」というお上的考えにまんまと乗せられている気がします.

ただあたしとしては,絶対に納得しないという気持ちを忘れちゃいけないと思いつつ,そんな世の中でも生きていかなきゃいけないという気持ちがあります.そのとき,相手のはっきりしないもやもやした憤懣を抱えていては,あたしの場合,切り替えられないんですね.だから無理やり自分の憤怒を抑えるために,こんな風に気持ちの整理をつけているのかなぁ~って,covaemonさんのコメントを読んで思いました.

>ととさんとは世代も違うだろうし(ぼくは1959年生まれ)
↑いやいや,実は結構近いかもです・・・(;^ω^A テレテレ

>でも、それを連帯責任という言葉を使うのはどうもぼくには抵抗があります。
↑そうですね.ちょっと無理やり使った気もします.もともとこの前の記事を書いたのは,metroさんの記事に触発されて書いたので,その記事に出ていた言葉にあわせたという面がありますから.

投稿: とと | 2005.06.28 23:50

今、年金世代間対話というのをやっています。プロフィールを拝見すると「ととさん」と私とは、18歳違うこれから迷惑をかける「巨大なきのこ雲」団塊の世代です。7月9日には、私の子供の世代、大学生と世代間討論会を行いました。彼ら彼女たち(女の子が5人男の子が2人でした)は、社会をけなげに受け入れる優しい世代だと思いました。本当は彼女たちが「団塊の世代けしからん」と叫ぶべきだと思いますが、親の世代でもあるので余り強くは出られないのでしょう。

それに比べると「ととさん」の世代は大いに主張すべきです。今の年金制度は世代間で"too much unfair"です。このままではモラルハザードを起します。

連帯責任とは、世代間の損得ではなく、世代間の公平でしか社会のコンセンサスは得られないということに気がつくところから始めるしかないのではないでしょうか。

投稿: 2015 | 2005.07.11 03:01

>2015さん

不公平感.私はいっぱい持ってます.

年金の話とはずれるのですが,例えば出産について.あたしがおねえを産んだとき,出産費用に消費税がかかりました.病院の支払に消費税がかかっていたのは,わずかな期間だったと思うんですけど,見事にはまってしまいました.そして今度は,特定扶養者控除がなくなるかもしれない.今まさにうちのおねえは,その年齢になるところなのに.
住宅政策についてもそう.今は確か,住宅控除を受けている期間に転勤で引っ越した場合,引き続いて控除が受けられるらしいけど,あたしのときはそれがなくて,住宅取得控除も受けられませんでした.

考えてるとまっくらぁ~な気分になってきます.
ヤレヤレヽ(~~~ )ノ

でも,主張の方法がわからない.この年代は,ちょうど子育ての時期で日々の生活にいっぱいいっぱいだし,元々あたしたちの世代って,学生運動の反動なのか,『政治には口を出さないことが良い』というように育てられたような気がします.あるいは,偏差値重視の世代という面もあるので,横のつながりを持つ方法を知らずに育ってしまったのかもしれません.

世の中は,やっぱり数の力です.あたしは流通業ですが,大量仕入れによる原価の掘り下げは必須です.たくさん売ることのできない会社は,たくさん売る会社に仕入れで負けてしまう.他にも,大きな会社は従業員がたくさんいるから,倒産させないとか,借金もたくさんあれば返さなくてもいいとか・・・.
同じように,団塊の世代という大きな塊を,社会は無視することはできません.言い換えれば,少数の世代は数の力で負けているのかもしれないですね.

書いてるうちに,暗いことばかりになってしまいました.この話を考え始めると,想いがいっぱいあふれてきて,コメント欄では収まりそうもありません.そのうちまた,考えをまとめてアップしたいと思います.なぜなら↓

>それに比べると「ととさん」の世代は大いに主張すべきです

↑のように言っていただいたから.
しっかり主張しなきゃいけませんね.

投稿: とと | 2005.07.11 21:12

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» 20代年金のアンフェアをやわらげる7つの提案 [2015年の年金破綻回避]
若者に年金について質問するとまったく反応がないのがほとんどである。しかし20代へのアンケートを拾ってみると本音がすけて見える。「裕福なお年寄りを金を持っていない自分たちが何故助けなければいけないのか」というささやきである。若者が感じる不公平感はもっともである。現状は確かに資産もありいい家に住んでいるおじいちゃんおばあちゃんが周りに結構いるようであり、入ってきた年金を貯蓄に回している高齢者家計が結構多い。そこで若者の不公平を取り除く施策を我々は考えてみた。... [続きを読む]

受信: 2005.06.28 07:13

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